石川県/バレーボールクラブ/バレーボールスクール/LEAD
コーチ 村本大河
こんにちは!大河です。
僕はこう見えて(?)大学1年生。
(昨年スクールの保護者から30代だと思われていた!笑)
正直、まだまだ現役でもプレーできますし、同世代はみんなプレーヤー(選手)です。
でも僕は「指導者」の道を選びました。
今日は、なぜ僕が指導者を目指そうと思ったのか。
そのきっかけを話そうと思います!
LEADとの出会い
1つ目のきっかけ。
それは中学3年の秋、たまたまポスターLEADを見つけました。
そして、この出会いをきっかけに僕は変わります。
当時の僕には大嫌いなプレーがありました。
何かというと・・・
サーブレシーブです。
とにかく苦手で、いつも相手から狙われていました。
自分の中で重点を置いて練習していましたが、正直心のどこかに「自分にはできないんだろうなぁ」というあきらめの気持ちもありました。
ですが、練習で幸介さんのお手本を見てから、イメージが大きく変わりました。
「サーブレシーブってこんなフォームなん!これできたらカッケーだろうなぁ!」
それから僕は猛練習しました。
幸介さんのフォーム動画を何度も何度も見て、自分のフォームを変えていきました。
それから約3か月後のJOCの大会では、僕はサーブレシーブの中心人物になっていました。
「こんなに変わることができるんだ!」と、自信がつきました。
大きく自分を成長させられること、苦手なプレーを克服した時の「できた!」という喜び。
それを伝えられるような人になりたいと強く思い始めました。
僕だから伝えられること
そして2つ目。
僕は小学1年からバレーボールを始め、とにかくバレーが大好きな「バレー馬鹿」です!
練習が休みでも父と練習し、子どもの頃の1番の楽しみは、スポーツショップに行って練習着を買ってもらうことでした。笑
でも、バレーをしている中で納得できないような出来事もあり、その時はものすごく辛かったし、
バレーに対する熱が冷めたこともありました。
僕は弱音を吐ける人もあまりいなかったし、もうやめる!と言えるような環境でもありませんでした。
それでも何とか折れずに頑張ってこられたのは、試合会場で会うたびに「頑張れ!」など声をかけ応援してくれた方々が僕の支えになっていました。
特に、僕の心を救ったのは、佳奈さんの言葉でした。
「今はつらいかもしれんけど、この経験は『指導者になったら』必ず生きてくると思うよ!」
こう言ってもらえたからこそ、自分の辛い経験が誰かの役に立つことができるということに、うれしさを感じました。
そしてタイミングよく、幸介さんから「今度の大会、一緒に行こうぜ!」と声をかけてもらい、
初めてコーチとして大会に出場しました。
(自分の試合以上に緊張して、かなり疲れたのはここだけの話。笑)
これから・・・
今、帰省したときにLEADのみんなとバレーができる環境があることをものすごく幸せに思っています。
そして、スクール生から、
「たいがー、ちょっとボール打ってくれん?」
「たいがー、私どうなっとるか見とってくれん?」
「たいがー、次いつ来るん?」
こうして声をかけてもらうことがとても嬉しいし、みんなの役に立ちたいと思っています。
(タメ口!笑)
自分がこれまで経験してきたことを生かし、
人は誰でも大きく成長することができる!
ということを伝えられるコーチになれるよう、これからも一生懸命やっていきたいと思います。
これからも、よろしくお願いします!
「もう、部活もバレーも辞めよう…」と悩んでいた子が、なぜ強豪校進学を決意するまでに成長したのか?
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